2016年10月23日
仙人のような神社の守人

「結婚は幸せになるためにするもんじゃない
幸せを分かち合うためにするんだ」
***
神様のために
参拝客のために
毎朝4時から
4万坪ある
身曾岐神社の境内を美しくする
「自分は下働きなんだ」
と言う77歳
下働きとは
雑用とか 誰かの下につく
というのではなく
自分をわきまえる
ということなんだよ
と教えてくれた
きっと今日も
お客さんがまるで友達のように
参拝の前に
あなたを訪ねるのだろう

2016年09月24日
朝子おばあの話:愛の人
出会いはグアバの香り
石垣島でグアバジュースを
手作りする家庭は珍しくない
朝子おばあは
お手製のグアバジュースの入ったペットボトルを開けた
私が借りていた
お隣さんが何のTVを見ているか分かるくらいに
壁の薄い部屋で
途端にジュースが爆発
朝子おばあもびしょぬれ
床もびしゃびしゃ
目が点になるとはこのこと
途端に濡れた本人が大爆笑
3軒先にまで届きそうな豪快な笑い声
その後も会話中に思いだしては大爆笑
誰がっておばあがよ
今も鮮明に思い出せる大きな笑い声
(※グアバジュースは普通は爆発しません。
陽に当たって発酵しちゃったみたい)
***
ベルセウス流星群を見に行った夏の夜中
あいにく 満天の星が 雲に隠れていた
朝子おばあは言った
「ちょっと あの雲どけてもらえんかね」
「・・・? だ、誰に?」
「決まってるさ、宇宙よ!」
どんな顔して言うかって
そりゃもう大真面目
こんな調子で一番元気
宇宙も動くのではないかと思わせる何かがある人
帰路は一人爆睡
そんな朝子おばあの話

***

石垣島北部 マーペーと呼ばれる山の麓にある
小さな集落・野底
(写真右側の突起のある山がマーペー)
朝子おばあこと
上地朝子(うえち あさこ)さんが暮らす
昭和24年4月1日生まれの67歳
美肌と健康の秘訣・
島らっきょうと島にんにくを食べて
畑に行くのが毎朝のパターン
作っているのは
パイン、コーヒー豆、島らっきょうにハーブ
全て無農薬で育てている
朝子さんの庭一面に植えられているハーブは
健康を支えてくれている


ここは石垣島に2つあるコーヒー農園のうちの一つ。
ハワイとの縁で栽培が始まった
無農薬栽培のため 特に収穫は天候に左右される
ヤシを防風林として植えて台風に備えている
これでも完璧には風を防げないが
被害は格段に少なくできる


背の高い木々が防風林


独特の赤土で作られるパイン
またこれが甘くて美味しい!!!
来年の分のパインを植える準備をしている
石垣島で教わった、
戦争に勝ったことを表すピースではなくアイラブユーのポーズ


この2枚の写真は朝子さんからいただいた
パイン収穫時のもの
山の麓で海を眺めながらの農作業

お父さんは野底の開墾の団長として
宮古島からこの地に渡ってきた
生活の目途が少したってから家族を呼び寄せた
朝子さん当時5歳
団長だったお父さん とても厳格な方だった
子どもも生活の担い手だったため
5歳の朝子さんにも仕事があった
マーペーの麓から薪を集めてくること、
天秤棒で湧き水から汲んだ水を運ぶことがそれだった
それができないとこっぴどく叱られた
父は怖い存在だった
お母さんは石垣島に渡ってすぐから病を患い
奥の暗い部屋で寝たきりだった
先が長くないと分かっていたためか
お母さんは情がうつらないようにと
亡くなるまで 朝子さんを近づけることはなかった
亡くなったのは小学校1,2年生の頃だった
上に年の離れた6名の姉兄がいたが
年が離れすぎて一緒に何かをしたという記憶はない
だからずっと寂しさがあり
家族の温もりを知らずに育った
と朝子さんは振り返る
誰にもその寂しさを吐き出せずにいた
薪を焚いているときにだけ
煙に任せて思い切り泣いた
開墾といっても大型機械があるわけではなく
クワ、カマ、ノコギリで森を開く
電気はない
水道もない
家は移民皆で協力し合って建てたもので
もちろん頑丈とは言い難い
一緒にこの地に来た開拓団の男たちは血気盛んで
昼は皆で仕事をし 夜はまた皆で酒を呑む
そのうち喧嘩が始まるのは珍しいことではなかったが
それは家々を壊す程で
幼い時分の朝子さんはそれが恐ろしくて
隠れて軒下や馬小屋で一人寝ることもあった
中学校を卒業したのは昭和39年
同時に浜松市の機織り工場に就職した
食べ物はあったが現金はない暮らし
パスポートを持って
着の身着のまま船で本土へ渡った
初任給7000円の時代だ
服を買う余裕はなく
1年間は中学校のセーラー服で過ごした
南国でギラギラのてぃだに照らされて育った身体は
本土の人と比べると黒い
冬の寒さにも慣れておらず
手が霜焼けで赤くパンパンに腫れていた
そして中卒という学歴―
同僚に後ろ指を指され馬鹿にされた
悔しかった
だけど生きるのに必死だった
そんな嫌がらせには目もくれなかった
しだいにそれはなくなっていった
ところが就職して10ヶ月で会社は倒産
社内預金(財形)を 取り戻すため
組合で1ヶ月デモをした
朝子さんにとっては一から貯めた資産だ
お金の大切さは身を持って知っていた
次は織物の会社に再就職した
15歳から21歳までをそこで過ごす
社会活動をしていたため
プライベートも毎日充実していた
そんな時 お兄さんの友人である勝久さんと出逢う
「そりゃもう、猛アタックよ」
八重山のイントネーションで
何食わぬ顔でいきなりぶっこんできた朝子さん
「まだ結婚したくない!今が楽しい!」
と断り続けていたが
「あなたと一緒になれないなら生きていたくない」
と猛アタックに押され昭和45年に結婚した
子ども3人、孫8人に恵まれた
猛アタックしてきた旦那さんとは今でも仲良し
言葉少なだけど今も昔も変わらない愛で
天真爛漫な朝子さんを包む
そんな旦那さんは昭和20年の夏に生まれた
戦況が激しい時 防空壕で誕生した
当時はそんな子どもは少なくなかったが
生き抜いた子どもは少なかった
旦那さんのお父さんは
開拓民の会計係として野底にやってきた
朝子さんのお父さんと同僚ということになる
朝子さんの家からすぐ近くに建てられている
入植の碑にお二人の名前が刻まれている


朝子さんの家は
いつでも人を迎え入れる準備がしてある
と言ってもそれは目に見えるものではなくて心の方だ
朝子さんの家が心のオアシスになるように、と。
朝子さんにとっては 自分の子どもや孫と
他人の境がない
「心こそ大切なり」
という信念のもと出逢いを大切に
そして一人一人を大切に思って接している
良いものは良いと言い 悪いものは悪いと言う
どんなに偉い人でも有名な人でも関係なく誰でも平等
「チヤホヤされたい人はウチには来ないさ、
つまらないからね」
人を見る目は養われている
それは寂しさを知っているから
苦労をしてきたから
人の痛みが分かるから
「自分の生き様がドラマになる」
そう言える程の苦労を乗り越えてきた
寂しかったけど 大変な思いをしてきたけど
この歴史で良かったのだ
苦労は財産だった
そう考えると何も悪いことはない
それを伝えるために
間口はいつでも広げている
≪グアバを採る朝子さん≫

車でパイン畑に向かう途中グアバの樹を見つける
「実がなってる!!!」
と大興奮で傾斜が60度はありそうな急斜面を
実を採りながら降りる。
「おばあが採るから待ってなさい!」
と言われたけれど1人に任せてはいられない。
私はカメラ抱えて降りられそうになかったので
ぐるっと回って朝子さんのもとへ。
「幼いころ男の子も女の子も関係なく、
みんなで競って採ったさ。
だから今でも血が騒ぐわけよ!」
そう言って袋いくつぶん採っただろうか
その場でかじったグアバの味が忘れられない
採る

採る

容赦なく採る

採ったグアバを食べながら待つ子どもたち

朝子おばあの憩いの場所は
マーペーの山頂からすぐ下にある
ここに本と飲み物を持ってきて過ごす

「こんなに素晴らしい景色に囲まれて
もう何もいらない。
野底が大好きさ」
土地への愛と人への愛
それを表現して生きる人
孫のゆうみちゃんと一緒に

石垣島でグアバジュースを
手作りする家庭は珍しくない
朝子おばあは
お手製のグアバジュースの入ったペットボトルを開けた
私が借りていた
お隣さんが何のTVを見ているか分かるくらいに
壁の薄い部屋で
途端にジュースが爆発
朝子おばあもびしょぬれ
床もびしゃびしゃ
目が点になるとはこのこと
途端に濡れた本人が大爆笑
3軒先にまで届きそうな豪快な笑い声
その後も会話中に思いだしては大爆笑
誰がっておばあがよ
今も鮮明に思い出せる大きな笑い声
(※グアバジュースは普通は爆発しません。
陽に当たって発酵しちゃったみたい)
***
ベルセウス流星群を見に行った夏の夜中
あいにく 満天の星が 雲に隠れていた
朝子おばあは言った
「ちょっと あの雲どけてもらえんかね」
「・・・? だ、誰に?」
「決まってるさ、宇宙よ!」
どんな顔して言うかって
そりゃもう大真面目
こんな調子で一番元気
宇宙も動くのではないかと思わせる何かがある人
帰路は一人爆睡
そんな朝子おばあの話
***

石垣島北部 マーペーと呼ばれる山の麓にある
小さな集落・野底
(写真右側の突起のある山がマーペー)
朝子おばあこと
上地朝子(うえち あさこ)さんが暮らす
昭和24年4月1日生まれの67歳
美肌と健康の秘訣・
島らっきょうと島にんにくを食べて
畑に行くのが毎朝のパターン
作っているのは
パイン、コーヒー豆、島らっきょうにハーブ
全て無農薬で育てている
朝子さんの庭一面に植えられているハーブは
健康を支えてくれている
ここは石垣島に2つあるコーヒー農園のうちの一つ。
ハワイとの縁で栽培が始まった
無農薬栽培のため 特に収穫は天候に左右される
ヤシを防風林として植えて台風に備えている
これでも完璧には風を防げないが
被害は格段に少なくできる

背の高い木々が防風林
独特の赤土で作られるパイン
またこれが甘くて美味しい!!!
来年の分のパインを植える準備をしている
石垣島で教わった、
戦争に勝ったことを表すピースではなくアイラブユーのポーズ
この2枚の写真は朝子さんからいただいた
パイン収穫時のもの
山の麓で海を眺めながらの農作業

お父さんは野底の開墾の団長として
宮古島からこの地に渡ってきた
生活の目途が少したってから家族を呼び寄せた
朝子さん当時5歳
団長だったお父さん とても厳格な方だった
子どもも生活の担い手だったため
5歳の朝子さんにも仕事があった
マーペーの麓から薪を集めてくること、
天秤棒で湧き水から汲んだ水を運ぶことがそれだった
それができないとこっぴどく叱られた
父は怖い存在だった
お母さんは石垣島に渡ってすぐから病を患い
奥の暗い部屋で寝たきりだった
先が長くないと分かっていたためか
お母さんは情がうつらないようにと
亡くなるまで 朝子さんを近づけることはなかった
亡くなったのは小学校1,2年生の頃だった
上に年の離れた6名の姉兄がいたが
年が離れすぎて一緒に何かをしたという記憶はない
だからずっと寂しさがあり
家族の温もりを知らずに育った
と朝子さんは振り返る
誰にもその寂しさを吐き出せずにいた
薪を焚いているときにだけ
煙に任せて思い切り泣いた
開墾といっても大型機械があるわけではなく
クワ、カマ、ノコギリで森を開く
電気はない
水道もない
家は移民皆で協力し合って建てたもので
もちろん頑丈とは言い難い
一緒にこの地に来た開拓団の男たちは血気盛んで
昼は皆で仕事をし 夜はまた皆で酒を呑む
そのうち喧嘩が始まるのは珍しいことではなかったが
それは家々を壊す程で
幼い時分の朝子さんはそれが恐ろしくて
隠れて軒下や馬小屋で一人寝ることもあった
中学校を卒業したのは昭和39年
同時に浜松市の機織り工場に就職した
食べ物はあったが現金はない暮らし
パスポートを持って
着の身着のまま船で本土へ渡った
初任給7000円の時代だ
服を買う余裕はなく
1年間は中学校のセーラー服で過ごした
南国でギラギラのてぃだに照らされて育った身体は
本土の人と比べると黒い
冬の寒さにも慣れておらず
手が霜焼けで赤くパンパンに腫れていた
そして中卒という学歴―
同僚に後ろ指を指され馬鹿にされた
悔しかった
だけど生きるのに必死だった
そんな嫌がらせには目もくれなかった
しだいにそれはなくなっていった
ところが就職して10ヶ月で会社は倒産
社内預金(財形)を 取り戻すため
組合で1ヶ月デモをした
朝子さんにとっては一から貯めた資産だ
お金の大切さは身を持って知っていた
次は織物の会社に再就職した
15歳から21歳までをそこで過ごす
社会活動をしていたため
プライベートも毎日充実していた
そんな時 お兄さんの友人である勝久さんと出逢う
「そりゃもう、猛アタックよ」
八重山のイントネーションで
何食わぬ顔でいきなりぶっこんできた朝子さん
「まだ結婚したくない!今が楽しい!」
と断り続けていたが
「あなたと一緒になれないなら生きていたくない」
と猛アタックに押され昭和45年に結婚した
子ども3人、孫8人に恵まれた
猛アタックしてきた旦那さんとは今でも仲良し
言葉少なだけど今も昔も変わらない愛で
天真爛漫な朝子さんを包む
そんな旦那さんは昭和20年の夏に生まれた
戦況が激しい時 防空壕で誕生した
当時はそんな子どもは少なくなかったが
生き抜いた子どもは少なかった
旦那さんのお父さんは
開拓民の会計係として野底にやってきた
朝子さんのお父さんと同僚ということになる
朝子さんの家からすぐ近くに建てられている
入植の碑にお二人の名前が刻まれている
朝子さんの家は
いつでも人を迎え入れる準備がしてある
と言ってもそれは目に見えるものではなくて心の方だ
朝子さんの家が心のオアシスになるように、と。
朝子さんにとっては 自分の子どもや孫と
他人の境がない
「心こそ大切なり」
という信念のもと出逢いを大切に
そして一人一人を大切に思って接している
良いものは良いと言い 悪いものは悪いと言う
どんなに偉い人でも有名な人でも関係なく誰でも平等
「チヤホヤされたい人はウチには来ないさ、
つまらないからね」
人を見る目は養われている
それは寂しさを知っているから
苦労をしてきたから
人の痛みが分かるから
「自分の生き様がドラマになる」
そう言える程の苦労を乗り越えてきた
寂しかったけど 大変な思いをしてきたけど
この歴史で良かったのだ
苦労は財産だった
そう考えると何も悪いことはない
それを伝えるために
間口はいつでも広げている
≪グアバを採る朝子さん≫
車でパイン畑に向かう途中グアバの樹を見つける
「実がなってる!!!」
と大興奮で傾斜が60度はありそうな急斜面を
実を採りながら降りる。
「おばあが採るから待ってなさい!」
と言われたけれど1人に任せてはいられない。
私はカメラ抱えて降りられそうになかったので
ぐるっと回って朝子さんのもとへ。
「幼いころ男の子も女の子も関係なく、
みんなで競って採ったさ。
だから今でも血が騒ぐわけよ!」
そう言って袋いくつぶん採っただろうか
その場でかじったグアバの味が忘れられない
採る
採る
容赦なく採る
採ったグアバを食べながら待つ子どもたち

朝子おばあの憩いの場所は
マーペーの山頂からすぐ下にある
ここに本と飲み物を持ってきて過ごす

「こんなに素晴らしい景色に囲まれて
もう何もいらない。
野底が大好きさ」
土地への愛と人への愛
それを表現して生きる人
孫のゆうみちゃんと一緒に

2016年09月02日
大塚勝久大先輩との出会い



石垣島は美しい
海も山も植物も
でも厳しさもある
その厳しさも撮る
ここが好きなんだなぁと
この場所を愛してるんだなぁと
伝わってくる写真を撮られる
なんて言うか
その厳しさすらも美しく感じる
だけど何より
この方が撮られる「人」は
人生の深さを物語ってくれる
この方が撮った人を見て
どれだけ通い
どれだけ会話し
どれだけ心を通わせたか
想像できるなんておこがましいけど
率直に
だいぶ、だい~ぶ強い信頼関係を築かれたんだろうな
と
うかがい知れます
写真家人生50年の大塚 勝久さん
LAでの写真展を終え
石垣島にいらっしゃいました
石垣島・八重山地方に来て
彼の写真を見ないで帰られる方は
きっといないでしょう
私がうんちく言うよりも
彼のHPをご覧ください↓
http://shokyu-otsuka.com/profile.html
***
まだまだまーだまーだ
ま-----だま-----だ
私は足元にも及ばない
だけど
こんな人にめぐり合えた
ご縁がご縁を繋いでくれた
ドキュメンタリーフォトライターとして
自分の道を信じ温め貫こうと
固く誓った
初秋の熱帯夜

石垣島のお父さんみたいなKAKAZのおじちゃん
こんな夢のようなご縁をありがとうございました
石垣になくてはならない財産でもある
HOTなおじちゃん2人のツーショットいただきましたー!(冒頭写真)
仲良しなんだもん
2016年08月24日
米盛のおじぃの話

最高にかっこいいおじいに出会った
知人に連れて行ってもらった先は
石垣島の繁華街から車で40~50分程度走った北部の平久保地域
平久保サガリバナ保存会 会長の米盛三千弘さんのご自宅
昭和17年12月生まれの御年73歳
冷たくて生き返るようなアイスコーヒーと
三線を弾きながら島の歌でもてなしてくれた
歌があると相手との距離が少し近くなった気がする
島民謡のメロディが心地よくて贅沢な時間
なんで島歌は
私にも優しくて懐かしい気持ちにさせてくれるんだろう

そんな中 奥様はストローを使ってサガリバナをつくります
手の込んだ、ここだけで作られているブローチをいただきました
アイディアに満ちたそれは
石垣市の中山市長もフォーマルな場面で身につけられたそう
どんどん改良され繊細なつくりになっていっています


おじいは 能面や般若、獅子、アンガマという
八重山特有の旧暦のお盆で使うお面などの面をご自身の手で掘る
三線もつくるし
それを持って島歌を歌いに老人ホームなどを慰問されます

こうやってご夫婦そろって多彩で
そしてサガリバナを愛されています
アンガマ。歯があるのがおじい、ないのがおばあ
今年は8月16~18日が旧暦のお盆で
町にはアンガマがあちこちで踊っていました

造られた面はこんなに様々あるけれど
この中でも 一番難しいのは能面
シンプルに見えても
作り手や見る人の感情が思いっきり問われるそう

緑に囲まれたこの場所で様々な技術を磨いていらっしゃいます
「もう歳だから」
なんて一言も出てきません
豊かな人生の送り方を見せてくださっています

ここ平久保は石垣島の最北端にあり
日本で一番多くの自生のサガリバナの咲く国立公園があり
美しい星々が空一面にみることのできる場所
以前の記事でもご紹介しましたが
サガリバナは夏の間にたった一晩だけ花を咲かせ
明け方には散ってゆく潔い花
熱帯・亜熱帯の東南アジアの湿地に生息しています

この平久保の財産であるサガリバナを守っていこうと
米盛のおじいや地元の方が清掃活動や保全活動を続けておられます
日本最大級のサガリバナが咲き誇る場所はもともと個人の所有地で
今は国立公園となり一般公開されており
誰でも自由に見ることができるようになっています
夜におじいが案内してくださいました
子どもが寝る時間にならないと咲かないこの花
車のライトで看板はかろうじて見えても 公園の入り口からまっくらで
昼間に下見をしないと「ここなの!?」と不安になってしまう
真っ暗な中に車を停め 懐中電灯の明かりで歩く
そうやって優しいピンクや情熱的な深い赤のサガリバナに出会える
自然は人間の開発によって影響を受けるもの
この平久保の財産であるサガリバナを守っていこうと
地元の方が清掃活動や保全活動を続けておられます
サガリバナの美しさに出会えたことに感激しつつ
上を見上げると
見たこともないほどの星空が私を待っていてくれたことに
声を上げるほどに感動した

それからおじいは 八重山に伝わるストーリーで星を教えてくれた
朝までたっても終わらないであろうほどに
どの星を聞いてもしっかり説明してくれる
星と共に生活があったことが伝わってきます
もっと聞きたい気持ちを抑えて帰路に着いたけど ちょっと寂しい
米盛のおじいは
サガリバナを守りたい、
豊かな八重山の自然を感じてほしいと
心の底から願っていらっしゃるようで
出し惜しみすることなく
ここにある宝を私たちにも分けてくれているように感じました
この景観や生態系を守るのは
難しさや葛藤もあったかもしれません
だけど守ってきた
こんな米盛さんのような方が 八重山の何よりの財産だと
勝手ながら思いました
私の感動は、彼らの運動なくては きっと味わえませんでした

2016年07月04日
2016年04月20日
お話聞いてきました
この変わっていく熊本の現状と続く余震と自分のふがいなさに
どこかネガティブになっていた数日間
家ですることもたくさんあるけど
地震を待っているわけにもいかない
ビビってこの大事な時をウジウジ過ごすわけにもいかない
って気持ちから
昨日はごくごくわずかながらの物資を2つのところにお届けしてきました
長くなりますがそのひとつ、
熊本市中央区帯山にある
家庭的保育室はぐくみ さん
をご紹介させてください

前震があった次の日から炊き出しを始められました
ようやく手に入ったちょこっとの野菜を持ってお手伝いに伺いました
普段は小規模の保育室をされています

代表の野村さん、スタッフの方、大牟田出身のイケメン大学生が3名、
野村さんの息子さんがテキパキと活気に満ちて
お困りの皆さんを迎える準備をされていました
届いた物資の管理をし
他の高校へ必要な物資を届けに行ったり、
でもそれが賄われたということで引き戻したりと、
他の避難所との連携も、野村さんやスタッフの方の指導のもと
大学生が中心になっておこなっていました
一方でSNSでの配信も毎日されています

本当に素晴らしいの一言
余震は怖くて昨夜は男3人で仲良くお風呂に入ったそうです♡


物資も各地から届いており、昨日の時点では物資も人手も
お困りではない様子でした


メニューはおにぎりと 温かくてやさしい味の野菜たっぷりシチューと
みずみずしいフルーツ

【はぐくみさんより】
◎乳幼児用の物資はまだ数があります
オムツや離乳食、おしり拭き等々・・・
必要な方にお届けしたいので
遠慮なく取りにいらしてください
(今は物資の受付はされていません)
◎21日より保育園も再開しますが
園児さん以外も遊びに来ていただけます
遊ぶ場所がなくて困っている方、ほっとされたい方
遊びにいらしてください
(保護者の皆さん同伴でいらしてください)
◎はぐくみさんについては、こちらをご確認ください
https://www.facebook.com/hagukumi2525.net/?pnref=lhc
子どもはご飯よりオモチャ!
遊べる場所って今は貴重です

* * *
私がお邪魔した2時間で、約25名の方がいらっしゃり
お話をお伺いしました
許可をいただきまして少しご紹介します
◆Yさんご一家
お父さん・お母さん・3才と10ヶ月になったばかりの姉妹の4人家族
震源地である益城から避難
家は全壊
幸いご家族は皆さんご無事
子どもの服も持ってこられなかったと少しずつ買い揃えているところ
携帯電話すら持って逃げられず次の日に取りに行き見つけることができたそうです
奥様のお母さんはカラオケ教室にいるところで前震に遭われ生き埋めの状態に。
お母様はどうにか2時間後に救出されましたが一緒にカラオケを楽しまれていた方はお亡くなりになられたそうです
Yさんの隣の通りが震源地で、その通りは一帯の家が全壊
ご近所の新築の家もダメだったそう
周りには、お風呂に入っていてバスタオルだけで逃げてきた方や
揚げ物をしていて太ももを大やけどし、
救急車が来るまで3時間かかってどうにか治療を受けられた方など
とにかく命があってよかったという状況だったそうです
子どもの写真を持ってこられなかったと悔やんでおられました
ここでも写真の力の大きさを実感しました


益城の様子の写真を見せてくださいました

◆熊本市の詫麻小学校に避難されていたご一家
震災3日目で配給されたのは一家族におにぎり2個と500mlのお水のみ
一日でこれだけです
物資が届かずご自宅に少し備蓄していた方はどうにか過ごせたけど
自治体が機能しておらず他の避難所との連携もできていなかったそうです
民間のボランティアの力がなければどうにもならなかったとおっしゃっていました

◆帯山小裏のアパート経営の親子さん
前震の直後 落ちた瓦が愛車クラウンを貫通!!!
これが人でなくて良かったと安堵しておられました
すぐに家を飛び出さなくてよかったとおしゃっていました
次に大きい地震が来たら倒壊するかもしれない
何ともないように見えてもヒビはすごいしここでは
もう暮らせないと不安がっていました

* * *
でもみなさん笑っています
笑って元気を出しています
どんな絶望の中にも光は絶対にあります 探せば

全国のみなさん、熊本は暗くないですよ!!
失くした物はたくさんあります
けど人の温かさとか日本人・熊本人の誇りとか絆とか
お金で買えない、とっても大事なものを得ているように思います
まだまだ終わってはいないし これからも何が起こるか分からない
毎晩怖くて仕方ないけど
がんばりましょうね!!!!!!
そして分かったこと
人のために何かできることは
自分のためになるってこと
何も人のためってことはないんです
そんなおこがましいことではなく
何かできたと少しでも思えることで自分もほっとするんだなぁ~
子どもが、何でも人にしてあげたがるように
人間って人を助けたい、協力したいって意識が
本来備わっている生き物ではないでしょうか
何も手伝うこともなく ただお話聞いて
お写真撮らせていただいただけですが
おかげで私も元気が出ました
ありがとうございました
* * *
最後に
昨日掲載した記事「みんながんばろう」を、FBを通じて
何人もの方がシェアしてくださり、
おてもやんブログで総合記事ランキング1位をいただきました
拙い文章で読みづらいところも多々ある中、
熊本の現状を知りたい、知らせたいと思ってくださった方が多かったこと
大変嬉しくありがたく思います。
これからもできることを続け 発信してまいりますので
見守って応援してくだされば幸いです
どこかネガティブになっていた数日間
家ですることもたくさんあるけど
地震を待っているわけにもいかない
ビビってこの大事な時をウジウジ過ごすわけにもいかない
って気持ちから
昨日はごくごくわずかながらの物資を2つのところにお届けしてきました
長くなりますがそのひとつ、
熊本市中央区帯山にある
家庭的保育室はぐくみ さん
をご紹介させてください
前震があった次の日から炊き出しを始められました
ようやく手に入ったちょこっとの野菜を持ってお手伝いに伺いました
普段は小規模の保育室をされています
代表の野村さん、スタッフの方、大牟田出身のイケメン大学生が3名、
野村さんの息子さんがテキパキと活気に満ちて
お困りの皆さんを迎える準備をされていました
届いた物資の管理をし
他の高校へ必要な物資を届けに行ったり、
でもそれが賄われたということで引き戻したりと、
他の避難所との連携も、野村さんやスタッフの方の指導のもと
大学生が中心になっておこなっていました
一方でSNSでの配信も毎日されています
本当に素晴らしいの一言
余震は怖くて昨夜は男3人で仲良くお風呂に入ったそうです♡

物資も各地から届いており、昨日の時点では物資も人手も
お困りではない様子でした

メニューはおにぎりと 温かくてやさしい味の野菜たっぷりシチューと
みずみずしいフルーツ

【はぐくみさんより】
◎乳幼児用の物資はまだ数があります
オムツや離乳食、おしり拭き等々・・・
必要な方にお届けしたいので
遠慮なく取りにいらしてください
(今は物資の受付はされていません)
◎21日より保育園も再開しますが
園児さん以外も遊びに来ていただけます
遊ぶ場所がなくて困っている方、ほっとされたい方
遊びにいらしてください
(保護者の皆さん同伴でいらしてください)
◎はぐくみさんについては、こちらをご確認ください
https://www.facebook.com/hagukumi2525.net/?pnref=lhc
子どもはご飯よりオモチャ!
遊べる場所って今は貴重です

* * *
私がお邪魔した2時間で、約25名の方がいらっしゃり
お話をお伺いしました
許可をいただきまして少しご紹介します
◆Yさんご一家
お父さん・お母さん・3才と10ヶ月になったばかりの姉妹の4人家族
震源地である益城から避難
家は全壊
幸いご家族は皆さんご無事
子どもの服も持ってこられなかったと少しずつ買い揃えているところ
携帯電話すら持って逃げられず次の日に取りに行き見つけることができたそうです
奥様のお母さんはカラオケ教室にいるところで前震に遭われ生き埋めの状態に。
お母様はどうにか2時間後に救出されましたが一緒にカラオケを楽しまれていた方はお亡くなりになられたそうです
Yさんの隣の通りが震源地で、その通りは一帯の家が全壊
ご近所の新築の家もダメだったそう
周りには、お風呂に入っていてバスタオルだけで逃げてきた方や
揚げ物をしていて太ももを大やけどし、
救急車が来るまで3時間かかってどうにか治療を受けられた方など
とにかく命があってよかったという状況だったそうです
子どもの写真を持ってこられなかったと悔やんでおられました
ここでも写真の力の大きさを実感しました


益城の様子の写真を見せてくださいました
◆熊本市の詫麻小学校に避難されていたご一家
震災3日目で配給されたのは一家族におにぎり2個と500mlのお水のみ
一日でこれだけです
物資が届かずご自宅に少し備蓄していた方はどうにか過ごせたけど
自治体が機能しておらず他の避難所との連携もできていなかったそうです
民間のボランティアの力がなければどうにもならなかったとおっしゃっていました

◆帯山小裏のアパート経営の親子さん
前震の直後 落ちた瓦が愛車クラウンを貫通!!!
これが人でなくて良かったと安堵しておられました
すぐに家を飛び出さなくてよかったとおしゃっていました
次に大きい地震が来たら倒壊するかもしれない
何ともないように見えてもヒビはすごいしここでは
もう暮らせないと不安がっていました

* * *
でもみなさん笑っています
笑って元気を出しています
どんな絶望の中にも光は絶対にあります 探せば
全国のみなさん、熊本は暗くないですよ!!
失くした物はたくさんあります
けど人の温かさとか日本人・熊本人の誇りとか絆とか
お金で買えない、とっても大事なものを得ているように思います
まだまだ終わってはいないし これからも何が起こるか分からない
毎晩怖くて仕方ないけど
がんばりましょうね!!!!!!
そして分かったこと
人のために何かできることは
自分のためになるってこと
何も人のためってことはないんです
そんなおこがましいことではなく
何かできたと少しでも思えることで自分もほっとするんだなぁ~
子どもが、何でも人にしてあげたがるように
人間って人を助けたい、協力したいって意識が
本来備わっている生き物ではないでしょうか
何も手伝うこともなく ただお話聞いて
お写真撮らせていただいただけですが
おかげで私も元気が出ました
ありがとうございました
* * *
最後に
昨日掲載した記事「みんながんばろう」を、FBを通じて
何人もの方がシェアしてくださり、
おてもやんブログで総合記事ランキング1位をいただきました
拙い文章で読みづらいところも多々ある中、
熊本の現状を知りたい、知らせたいと思ってくださった方が多かったこと
大変嬉しくありがたく思います。
これからもできることを続け 発信してまいりますので
見守って応援してくだされば幸いです
2016年04月19日
みんながんばろう
今も続く熊本地震
被害の大きい益城・阿蘇を中心に報道されています
熊本市内の普通の町も静かにたくさんの被害があります
わざわざ撮影に行かなくても普通にこんな光景があちこちに
私の見ている範囲で記録として掲載します
* * *
ご夫婦で何かを固定されていました

小さい、地元の人が通る道です
こんな亀裂があちこちに。

いつもお参りするお地蔵さん
お堂の中の180cmくらいあるお地蔵さんも
外の六角地蔵さんも倒れてました。

前震では持ちこたえてたのに、ってところがいたるところに。
地味な被害に見えるところもあるかもしれませんが
実際住むとなると本当に大変です
歩いて10分くらいまわってこんな感じ。熊本市南区






フラットではなくなってました
至る所で隆起していたり。
何ともないように見えてもこれ

ご近所で協力し合って。

うまく撮れてないけど 伝わりにくいけどこれも衝撃大きかった

熊本城の城壁。
天守閣には近づけません

本震とみられた地震はあまりにも長く感じ
地球が怒っているのかと思わずにはいられませんでした
違うんだけど
それ以上の恩恵を与えてくれているのだけど
もう恐怖で泣くことすらできない娘をぎゅっと抱きしめ
ただただ 早く終わってと祈ることしかできませんでした
自分たちの運命を天に任せるしかない
でも できることなら娘は守りたい
とにかくそれを神様に祈るだけしかできない
地球といったいになって 逆らわず受け入れるしかないと
どうすれば良いか分からないけど
そう思って揺れがおさまるのを待ちました
私も夜が怖いです
夜になると一人でトイレに行くことも怖くてできません
夕方になると2歳の娘は不安定になります
寝不足もあって
「暗くならない!寝ない!」と泣き叫びます
余裕があると震度当てクイズもしますが笑
大変な思いをしている人がたくさんいる中で
水が出ない程度でまだ恵まれた環境にいる自分に何ができるか
ずっと考えています
親として子どものケアを一番にしなければという思い
一人の人間として隣の人に手を差し伸べたいという思い
いろんな気持ちがある中で結局何もできずにいることを
とてももどかしく思います
自衛隊、消防、警察に勤める旦那さんを持つ友人もいます
家のことはどんなに心配でも後回しで社会のために動いてる
不安の中で それを見送って 家族を支える奥さん
本当にありがとう
被災しながら避難所でボランティアする人
全国から駆けつけてくれる公務の方、民間の方、ボランティアの方
ライフライン復旧のために余震が続く中で作業される方
それぞれのお仕事の中で、今できる最善のことをされる病院や企業の方
郵便屋さん、新聞屋さん
応援と心配の声を寄せてくださる方
本当にありがとうございます
お水が出ました
チョロチョロですが この裏にどんなストーリーがあるかと思うと涙が出るほどありがたいです
自衛隊の災害派遣の車を見るだけでもウルっと。
ありがとうしか言えない
大事な人たちをどうか支えてください
よろしくお願いします
自分では物資もないし
自分と子どもを守れるか分からない場所に行くこともできない
何もできなくて
情けないことにこんなお願いしかできない
健康なのに
動けるのに
どうかどうかよろしくお願いします

また朝がきた
希望の朝だ
ラジオ体操でもおどりたい気分
泣きながらでもいいよね
熊本 がんばろう!!!
阿蘇 がんばろう!!!
大分 がんばろう!!!
エクアドル がんばろう!!!

被害の大きい益城・阿蘇を中心に報道されています
熊本市内の普通の町も静かにたくさんの被害があります
わざわざ撮影に行かなくても普通にこんな光景があちこちに
私の見ている範囲で記録として掲載します
* * *
ご夫婦で何かを固定されていました
小さい、地元の人が通る道です
こんな亀裂があちこちに。
いつもお参りするお地蔵さん
お堂の中の180cmくらいあるお地蔵さんも
外の六角地蔵さんも倒れてました。
前震では持ちこたえてたのに、ってところがいたるところに。
地味な被害に見えるところもあるかもしれませんが
実際住むとなると本当に大変です
歩いて10分くらいまわってこんな感じ。熊本市南区
フラットではなくなってました
至る所で隆起していたり。
何ともないように見えてもこれ
ご近所で協力し合って。
うまく撮れてないけど 伝わりにくいけどこれも衝撃大きかった
熊本城の城壁。
天守閣には近づけません
本震とみられた地震はあまりにも長く感じ
地球が怒っているのかと思わずにはいられませんでした
違うんだけど
それ以上の恩恵を与えてくれているのだけど
もう恐怖で泣くことすらできない娘をぎゅっと抱きしめ
ただただ 早く終わってと祈ることしかできませんでした
自分たちの運命を天に任せるしかない
でも できることなら娘は守りたい
とにかくそれを神様に祈るだけしかできない
地球といったいになって 逆らわず受け入れるしかないと
どうすれば良いか分からないけど
そう思って揺れがおさまるのを待ちました
私も夜が怖いです
夜になると一人でトイレに行くことも怖くてできません
夕方になると2歳の娘は不安定になります
寝不足もあって
「暗くならない!寝ない!」と泣き叫びます
余裕があると震度当てクイズもしますが笑
大変な思いをしている人がたくさんいる中で
水が出ない程度でまだ恵まれた環境にいる自分に何ができるか
ずっと考えています
親として子どものケアを一番にしなければという思い
一人の人間として隣の人に手を差し伸べたいという思い
いろんな気持ちがある中で結局何もできずにいることを
とてももどかしく思います
自衛隊、消防、警察に勤める旦那さんを持つ友人もいます
家のことはどんなに心配でも後回しで社会のために動いてる
不安の中で それを見送って 家族を支える奥さん
本当にありがとう
被災しながら避難所でボランティアする人
全国から駆けつけてくれる公務の方、民間の方、ボランティアの方
ライフライン復旧のために余震が続く中で作業される方
それぞれのお仕事の中で、今できる最善のことをされる病院や企業の方
郵便屋さん、新聞屋さん
応援と心配の声を寄せてくださる方
本当にありがとうございます
お水が出ました
チョロチョロですが この裏にどんなストーリーがあるかと思うと涙が出るほどありがたいです
自衛隊の災害派遣の車を見るだけでもウルっと。
ありがとうしか言えない
大事な人たちをどうか支えてください
よろしくお願いします
自分では物資もないし
自分と子どもを守れるか分からない場所に行くこともできない
何もできなくて
情けないことにこんなお願いしかできない
健康なのに
動けるのに
どうかどうかよろしくお願いします
また朝がきた
希望の朝だ
ラジオ体操でもおどりたい気分
泣きながらでもいいよね
熊本 がんばろう!!!
阿蘇 がんばろう!!!
大分 がんばろう!!!
エクアドル がんばろう!!!
2016年03月28日
バースデーパーティ撮影@Sakurakiさん

熊本市西区島崎にあるママとキッズのためのリラックススペース
Sakurakiさんにて
ナナちゃんのお誕生日パーティの撮影をさせていただきました
ナナちゃんのママ、おばあちゃん(には見えないけど)、
おじさんもお誕生日が近く一緒にお祝い!
Sakurakiさん自慢のかわいいデコレーションとおいしい食事、
そしてずっとずっと楽しい笑い声であふれる空間でした



今回は写真撮影だけでなく、ムービー撮影もありました。
結婚式のように最後はパーティ映像を見てお開きでした

* * * * *
Sakurakiさんは、お客様のご要望に併せた空間のデコレーションで
パーティをプロデュースしてくださいます
今回のテーマはアンティーク!
家でするのは大変・・・片付けも大変・・・
でもオリジナリティあふれるパーティがしたい!という方はぜひ!
空間はかわいいし 食事は文句なしの味のフレンチ、
スイーツは御船のしましまの木さんから、
そしてAndCoffeeRoastersのコーヒーも
すべてお客様から歓声があがるほどのクオリティ揃いでした
お誕生日だけでなく、ベビーシャワーやご家族のお祝い、
お友達との記念にご活用くださいませ☆
http://www.sakuraki.net/
私はそこにいるだけでテンション上がりっぱなしでした





2016年02月20日
八ヶ岳へ母娘旅
初めての母娘旅・山梨の北杜市へ紀行①
長野県との県境・八ケ岳の麓に住む姉夫婦宅におしかけました
銀世界と自分の心を見に行く旅
初めての雪景色 何が必要かもわからない
ほとんどの荷物は送ったけど
子ども大丈夫か風邪ひかないように
電車脱線とかトラぶっても大丈夫なように
そうやって母の手荷物は増えに増え
アフリカ行きに匹敵する大変さを味わいました
気をつけてください
2才の子連れに大荷物・東京経由はドMがすることです
到着した翌朝 50センチほどの積雪
来た日大正解
この景色を見に来た
この季節に来たかった
姉夫婦の心の温かさ 懐の広さ深さに支えられ
笑いと感動に包まれた2週間(長居してホントごめんw)
もともとシスコンな私は 姉ちゃんとダラダラ映画見ながらおしゃべりしたり
オヤツ食べたりお酒飲む時間が何よりのリラックスタイム
久しぶりでした
うれしかった
そして義兄さん
男気溢れてて もう何でも鼻に入れるし ネタが豊富だし
爆笑と尊敬しかありません
こんな家族をつくりたいな
(八ヶ岳と結婚記念日の彼ら。大事な日に邪魔してゴメン♡)
この2週間で 周りの方のおかげさまで娘は
表現力が高まりました
たっくさん笑って たっくさんの愛情をもらいました
親だけではできないことがあるなぁ
そしてどんなに周りに頼れる方がいても なんだか
一人で子育てしなきゃ!親がしなきゃ!
的な感覚があったことを自覚しました
みんなで育てていいんだって 改めて感じました
一緒になって成長を喜び 見守り 導いてくれる人がいる心強さったらもう・・・!
最高に幸せな子です♡
コットンみたいな雪
きっと普通の何気ない風景ですが 私には感動の嵐!
こんなたくさんの雪見たことない!
雪解けの音とか 屋根から雪が落ちる音とか
雪の質によって踏んだときに音が違うこととか
青空と白い雪の美しさとか
いろんな動物の足跡とか
一年先二年先を見越した薪の準備とか・・・
すべてが新鮮で 美しかった
誰の足跡かな~♪
野生の牡鹿にも会えたよ!
ハリーも近くにいるかもしれない
次はキツネとかエゾ鹿とかリスとか・・・会えたらいーな♡
私の人生には旅が必要
久しぶりの本格旅で 再確認しました
ドコに行っても感じる心をフル回転していたい
厄年入りましたが
いつまでもキラキラして生きたい そんな三十路
けど 自分だけでなく家族も と思えるようになったのは大人になった証拠かな
そして少しでも恩返し・恩送りができる大人になっていきたい
たくさんの雪と愛でいっぱいの山梨旅 またご紹介します
2016年01月01日
新年のごあいさつ
明けましておめでとうございます
天気の良い 気持ちよい朝となりました
昨年は その前の年に撒いていた種が少しずつ少しずつ芽を出し
多くの方に支えられて新しい挑戦ができた一年でした
本当にありがとうございました
今年はまた昨日までに撒いていた種が芽を出す・・・とイイナ♡
どれだけ種を撒いたか お客様とそして目の前の景色と真摯に向き合ってきたかが
表れると思います
(日常生活でも同じですね)
外に 内に 磨きをかけていきます
ッシャー!!!!頑張るぞ!!!!と気合入れて初詣に行ってきました




かわいい巫女さんたち 寒い中お疲れ様です(盗み撮りじゃないよ♡)

とっても感じの良い交通整理のオジチャンたちでした
休みたいときに爽やかに働いて安全を守ってくれる彼らに
お給料たくさんよろしくお願いします!!!!
はちどりphotoは 今年は変化の年になりそうです
どんな変化になるか また少しずつご報告していきたいと思いますが
どちらにせよ・・・
日本を飛び出すのは間違いございません♡
どのぐらいの期間・どこに行くかは未定ですが
写真を撮る人間として絶対に絶対に!!!!飛躍の年としていきます
いつでもテーマは「地球がHAPPY♪」
応援していただければ嬉しいです
ッシャー!!!!!頑張るぞ!!!!
厄になんか負けない!!!!
天気の良い 気持ちよい朝となりました
昨年は その前の年に撒いていた種が少しずつ少しずつ芽を出し
多くの方に支えられて新しい挑戦ができた一年でした
本当にありがとうございました
今年はまた昨日までに撒いていた種が芽を出す・・・とイイナ♡
どれだけ種を撒いたか お客様とそして目の前の景色と真摯に向き合ってきたかが
表れると思います
(日常生活でも同じですね)
外に 内に 磨きをかけていきます
ッシャー!!!!頑張るぞ!!!!と気合入れて初詣に行ってきました


かわいい巫女さんたち 寒い中お疲れ様です(盗み撮りじゃないよ♡)

とっても感じの良い交通整理のオジチャンたちでした
休みたいときに爽やかに働いて安全を守ってくれる彼らに
お給料たくさんよろしくお願いします!!!!
はちどりphotoは 今年は変化の年になりそうです
どんな変化になるか また少しずつご報告していきたいと思いますが
どちらにせよ・・・
日本を飛び出すのは間違いございません♡
どのぐらいの期間・どこに行くかは未定ですが
写真を撮る人間として絶対に絶対に!!!!飛躍の年としていきます
いつでもテーマは「地球がHAPPY♪」
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ッシャー!!!!!頑張るぞ!!!!
厄になんか負けない!!!!